「ジャンバティスタ・バジーレ」の版間の差分

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ところが、妹であるアドリアーナが「当代随一の歌姫」としてナポリの支配層の人気を集めるようになると、その縁でバジーレら家族も取り立てられるようになる。妹の後援によって[[1609年]]に処女詩集『マドリアーリとオーデ』(Madriali et ode)を刊行すると、次々に詩を発表していった。
だが、このころバジーレが憂慮していたのは[[イタリア語]]が全国的に統一傾向が進んで、ナポリが古くから使ってきた所謂いわゆる「[[イタリア語#方言|ナポリ語]]」が衰退の危機に晒されていることであった。そこでバジーレは、ナポリ地方に昔から伝わる[[説話]]を蒐集する事を思い立った。
『物語の中の物語、即ち幼い者達のための楽しみの場』(Lo cunto de li cunti overo Lo trattenemiento de peccerille)と名付けられたこの説話集はバジーレの死後の[[1634年]]に[[ジョヴァンニ・ボッカッチョ|ボッカッチョ]]の『[[デカメロン]](十日物語)』に倣って『ペンタメローネ(五日物語、Pentamerone)』と改称されて刊行された。『ペンタメローネ』は[[ヨーロッパ]]における[[童話集]]のさきがけとなった。
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