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'''セルウィウス・トゥッリウス''' ('''Servius Tullius''') は伝説上の[[王政ローマ]]第6代の王(在位[[紀元前578年]] - [[紀元前535年]])。[[エトルリア人|エトルリア系]]の王としては2目となる。
 
== 経歴 ==
もとは奴隷の出自と言われる。しかしながら[[ティトゥス・リウィウス]]は彼が奴隷の出自だったとは信じられなかったらしく、母親は[[エトルリア人]]都市の出自であったが、故郷の都市をロ−マ人によって陥落させられ、王の許しで王宮に住まう事が許された身であったと述べている。
 
[[紀元前579年]]先代[[ルキウス・タルクィニウス・プリスクス]]の暗殺後に先王の娘を妻として王となる。セルウィウスは[[プレブス]]の承認なくして王位に就任した最初の王となり、王座には先王の妃の助力が大であったと言う。王となり、彼はウェイイを攻略、エトルリア人都市に出征を行う。また内政としてはローマの領域を拡張、中でも彼の信仰するフォルトゥナ神、ダイアナ神の神殿を多く建てた。またセルウィウスは王政ローマの組織を大幅に変革した人物としても知られる。彼は下層階級のプレブスの支持を得ていたが、同時にの政策は既存勢力である[[パトリキ]]には人気はなかった。
 
[[紀元前535年]]、セルウイゥス自分の娘と彼女と結婚した義理の息子、娘婿である[[タルクィニウス・スペルブス]]に殺された。
 
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[[category:王政ローマ]]
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