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'''グレーター・ロンドン'''('''Greater London''')は[[イングランド]]の[[首都]][[ロンドン]]における最高レベルの行政区であり、9つある[[イングランドのリージョン]]の内の1つ。 日本語では'''大ロンドン'''とも称される。
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==地方行政区==
2000年以降ロンドン地域は[[グレーター・ロンドン庁]] (Greater London Authority, GLA) が設けられており、[[大ロンドン市長]] (Mayor of London) [[ケンボリスリヴィジョグストン]]が行政の責を追っている。立法府はロンドン市議会 (London Assembly) が担っており、GLAの本庁はサザークのシティ・ホールに設けられている。
 
==行政上の地位==
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グレーター・ロンドンは[[ロンドン自治法]]([[1963年]]制定、[[1965年]][[4月1日]]施行)に基づき、それまでの[[ミドルセックス州]]の大部分、[[カウンティ・オブ・ロンドン]]及びシティ・オブ・ロンドン<ref>カウンティ・オブ・ロンドン行政府である[[ロンドン・カウンティ・カウンシル]]からは独立していた。</ref>に、[[ケント (イングランド)|ケント]]、[[ハートフォードシャー]]、[[サリー (イングランド)|サリー]]及び[[エセックス]]の一部を加える形で成立した。[[ホーム・カウンティ]]と呼ばれるエセックス、ハートフォードシャー、[[バッキンガムシャー]]、[[バークシャー]]、サリー及びケントと市域を接している。
 
かつてのグレーター・ロンドンの行政は2層からなる地方自治制度を組み合わせた独特の制度であり、[[グレーター・ロンドン・カウンシル]]がシティ・オブ・ロンドンと32の特別区 (boroughs)と行政権限を共有していた。グレーター・ロンドン・カウンシルは[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権下の[[1986年]]、一部の権限をシティ・オブ・ロンドンと32の特別区に移し、残りを中央政府へと戻す形で廃止された。後の[[2000年]]、[[労働党 (イギリス)|労働党]]政権は再び大ロンドン市域全体の行政府として[[グレーター・ロンドン庁]](Greater London Authority)を成立させ、立法府として[[ロンドン市議会]]、そして[[大ロンドン市長]]職が成立した。2000年及び[[2004年]]の市長選挙では、グレーター・ロンドン・カウンシルの最後の市長であった[[ケン・リヴィングストン]]が市長に選出されているたが、[[2008年]]の市長選挙では、[[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[ボリス・ジョンソン]]に破れた
 
現在のグレーター・ロンドン市域にあたる部分の人口は、[[1801年]]の約110万人<ref>うち85万人ほどが都市部で暮らしており、残りの25万人は周辺の村に住んでいた。</ref>から[[1939年]]には860万人に増加したが、1980年頃には680万人に落ち込んでいる。1980年初頭からは再び増加する傾向にあるが、2003年時点で1970年代初頭の人口([[1921年]]の人口と同程度)に達した程度である。研究者の中には大ロンドンの人口は[[2016年]]には815万人に達すると予測する者もいるが、それでもピークである1939年と比べて45万人ほど少ないということになる。より広い市域の定義であるロンドン都市圏(ロンドン通勤圏)で考えると、1200万人から1250万人が都市圏人口とされる。