「ピアノ協奏曲第1番 (ブラームス)」の版間の差分

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初期の[[短調]]による[[室内楽曲]]と同じように、懊悩と煩悶、激情といった、後年のブラームス作品には見られない表情が顕著である。ことこの曲については作曲時期にブラームスが内面の危機を抱えていた事が大きい。[[1856年]]に恩人[[ローベルト・シューマン|シューマン]]が他界し、残された私信などから、その頃のブラームスは未亡人となったクララに狂おしいほどの恋愛感情を抱いて可能性が高いことが分かっている。
 
また初演当時まだ25歳という若さもあってか、冒険的な要素も多い。例えば伝統的な協奏ソナタの主題提示と異なるや方を採用し、第1楽章の第2主題はピアノにより提示されたり、[[19世紀]]の[[ヴィルトゥオーゾ]]による協奏曲のよう反して、[[オーケストラ]]を独奏楽器の単なる伴奏として扱うのではなく、独奏楽器と効果的に対話させてシンフォニックな融合を目指したことが挙げられる。ただしブラームスの努力は本作では完全には実現されず、かなり後の《[[ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)|ヴァイオリン協奏曲]]》や《[[ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲 第2番]]》において具現化された。
 
古典的な3楽章構成を取ってはいるものの、全体の長さ、特に第1楽章が協奏曲の一般的な概念から考えてもいささか長大であったり(指揮者にもよるが、1楽章は一般的に長いと言われているチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番・第1楽章よりも更に長い)、当初から「ピアノ助奏つきの交響曲だ」という指摘が多かったように、これだけ内容が重くピアノが目立たないというのも異例だった(もっとも、ブラームス自身最初は交響曲として作曲していた時期もあったようであり、この指摘もあながち的外とはえない)。また、成熟期の作品に比べるとまだ[[管弦楽法]]が未熟で、とりわけ楽器間のバランスに問題があるなどの欠点を抱えた作品である。しかし先述のようなブラームスの初期作品ならではの情熱的な表現をはじめとする、管弦楽法の未熟度などの欠点を補って余りある魅力に加え、作曲様式においては(クララ・シューマンなどのアドバイスも相俟って)非常に練れた作品であり、時が経つにつれて作品の評価も高まっていった。
 
現在ではその壮大な[[古典派音楽|古典主義]]的な構想や、見栄えのするピアノの超絶技巧、初期作品ならではの情熱的で気魄に富んだ表現などから、ブラームスの初期の代表作として認知されている。