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[[曹操]]の第九子で、生母は環夫人。[[曹丕]]の異母弟であり、[[曹沖]]の同母弟かつ[[曹據]]の同母兄である。魏の最後の皇帝・元帝([[曹奐]])の父。妻は[[張魯]]の娘。
 
初め都郷侯に封じられ、[[単県|単父]]魯陽侯を経て、[[邳州|下邳]]王に昇格し、後に[[燕]]王に栄爵された。

甥・[[曹叡]]とは皇太子時代から親友の仲であり、[[239年]]に曹叡は病に倒れると、曹宇を[[大将軍]]にして、[[曹肇]][[夏侯献]]、[[秦朗]]ら魏の宗室・閣僚らと共に[[猶子]]の[[曹芳]]を補佐させようとした。

ところが重臣の[[孫資]]や[[劉放]]の讒言もあり、また曹宇自身が明帝の遺詔に消極的だったこともあってこれを受けず、逆に彼を初めとする有力皇族は中央から遠ざけられてしまった。
 
その後の曹宇の消息は定かではないが、末子の常道郷公・曹璜(後の曹奐)が即位した時には、まだ在命であった。