「ジム・ダイン」の版間の差分

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[[1962年]]、ダインの作品は、[[ロイ・リキテンスタイン]]、[[アンディ・ウォーホル]]、ロバート・ダウド([[:en:Robert Dowd|Robert Dowd]])、フィリップ・ヘファートン([[:en:Phillip Hefferton|Phillip Hefferton]])、ジョー・グッド([[:en:Joe Goode|Joe Goode]])、[[エド・ルシェ]]、[[ウェイン・ティーボー]]([[:en:Wayne Thiebaud|Wayne Thiebaud]])の作品とともに、ウォルター・ホップス([[:en:Walter Hopps|Walter Hopps]])が主事を務めた歴史的に重要かつ草分けとなる[[ノートン・サイモン美術館|パサディナ美術館]]での「New Painting of Common Objects」展([[:en:New Painting of Common Objects|New Painting of Common Objects]])に出品された。この展覧会は歴史的にアメリカ合衆国で最初のポップアート展覧会の1つと考えられている。社会的不安の時期にこうした美術家たちがアメリカと美術界に衝撃を与え、モダンアートを永遠のもの、つまりポップアートに変える運動をスタートさせた。
 
1960年代初期、ダインは日常生活のアイテムでポップアートを作った。それらは批評家的のみならず商業的な成功ももたらしたが、ダインはそれに満足しなかった。[[1967年]]、ダインは[[美術商]][[ロバート・フレイザー]]([[:en:Robert Fraser|Robert Fraser]])の支援する[[ロンドン]]に移り、そこで4年かけて自分のアートを発展させた。[[1971年]]、ダインはアメリカ合衆国に帰国するといくつかの素描のシリーズに集中した。1980年代には[[彫刻]]がダイン作品の中心になった。以降、ダインの作品は人工的なオブジェから自然なものにシフトしていった。
 
[[ロック・ミュージカル]]『[[ヘアー]]』の作者である[[ジェームズ・ラド]]([[ジェローム・ラグニ]]と共作)によると、『ヘアー』というタイトルはダインの『Hair』という作品から名付けられたという。