「島津貴儔」の版間の差分

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[[元文]]2年([[1737年]])7月18日に父より「貴」の字を与えられて「貴儔」と改め、同3年([[1738年]])5月、婿で加治木島津家の島津久門(後の[[島津重年]])とともに家格一所持から新設された家格の一門家の初めとなる。
 
[[宝暦]]5年([[1755年]])の『嶋津家分限帳』では「嶋津備中 1万7104石」とある。当時、一門家筆頭の加治木家が当主不在のために事実上の一門家筆頭であり、重豪数少ない肉親でもあるった
 
== 家族 ==
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*子
**都美(島津重年の妻、島津重豪母)
**末川久救(次男、垂水島津家次男家末川家開祖姓を称す。
**梅([[島津久柄]]正室、島津重豪養妹として嫁ぐ)
**川上久致(4男、川上嫡家19代目当主)