「ヘンリー・M・ジャクソン」の版間の差分

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上述のように、ジャクソンは国防・安全保障政策の専門家として知られていた。そのスタンスは、反共的で強硬なものであった。彼はデタント政策に一貫して反対しており、特に[[第二次戦略兵器制限交渉|SALT II]]には強硬に反対した。さらに、1974年の貿易法の審議に際し、いわゆるジャクソン・ヴァニク修正を提案した。このときの共同提案者は、[[チャールズ・ヴァニク]]下院議員(民主党、[[オハイオ州]]選出)である。これは、市場主義経済をとらない国々、移民の自由を制限している国々との通商を基本的に禁ずるものであり、主にソ連圏、共産圏を念頭においていた。
 
このように対外的な強硬姿勢、アメリカの自由民主主義を全世界的に広めるという目的のためには軍事的な手段をも用いるというのが彼のスタンスであった。こうしたスタンスは、いわゆる「[[新保守主義 (アメリカ)|ネオコン]]」に通ずるものがある。事実、「ネオコン」の代表格と見られている[[リチャード・パール]]は彼の政策スタッフであった。さらには[[ポール・ウォルフォウィッツ]]、[[ダグラス・ファイス]]といった「ネオコン」人脈の中心的人物も、70年代にジャクソンの下で働いていた。[http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,854703,00.html (1)]このことから、ジャクソンを「ネオコン」の源流の一人とみなす傾向が強い。事実、パールは自身が共和党員と看做されるのには不服であり、「ジャクソン流民主党員」と呼ばれたいと語ったことがある。
 
== 外部リンク ==