「アウグスト・シュライヒャー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
4行目:
初め[[神学]]を学び、次いで印欧語(特に[[スラヴ語]])を専攻した。
 
[[1850年]]に総説''Die Sprachen Europas in systematischer Übersicht''(ヨーロッパ諸言語の体系的概観)をまとめた。彼はここで[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]からの強い影響のもとに、言語は段階的に発展・成熟・崩壊する有機体であるという理論を唱えた。また[[屈折語]]・[[膠着語]]・[[孤立語]]の3類型を確立し、これらの関係も彼の理論の枠組で考えた。彼は言語を生物になぞらえるのが適切であるとし、競争を経て変化していくものであるとした。これは[[ダーウィン]]による[[進化論]]の提唱に数年先立つが、進化論の影響ではなく[[ロマン主義]]や[[ドイツ観念論]]に基づくものと思われる(むしろ進化論の方が当時の言語学思潮を[[アナロジー]]として利用したとの考えもある)。
 
[[1853年]]には言語を生物と同じように分類し、さらにそれを配列して[[系統樹]]として表現した(これも[[エルンスト・ヘッケル]]による生物系統樹より早い)。のちに[[イェーナ大学]]の同僚となったヘッケルとも議論を交わしている。
 
彼の考えには独断的な部分も多いが、系統樹説は以後の印欧語研究に決定的な影響を与え、現代まで続く[[比較言語学]]の基本的な考えとなっている。また[[印欧祖語]]の再構を試み、推定した[[祖語]]を用いて[[寓話]]書いている記した
 
47歳で結核のため亡くなった。
 
{{DEFAULTSORT:しゆらいひや あうくすと}}
[[Category:ドイツの言語学者]]