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'''大中臣能宣'''(おおなかとみ の よしのぶ、[[延喜]]21年([[921年]])
[[大中臣氏]]は[[神祇官]]の家柄で、[[正四位下]]神祇大副(じんぎたいふ)に至り、[[祭主]]となった。[[951年]](天暦5年)[[梨壷の五人]]の一人に選ばれて[[和歌所]]寄人となり、「[[万葉集]]」の訓読と、「[[後撰和歌集]]」の撰集にあたった。[[冷泉天皇]]・[[円融天皇]]の[[大嘗会]]
「[[拾遺和歌集]]」以下[[勅撰和歌集]]に入集。家集に「能宣集」がある。なお、[[百人一首]]に「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ」が能宣作として入っているが、作者は能宣ではないとの説が有力である。
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[[Category:平安時代の歌人]]
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