「リュシアン・ルバテ」の版間の差分

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翌[[29年]]に愛読していた『アクション・フランセーズ』の音楽欄のコンサート評を執筆したのをきっかけに、文筆業に専念する。ルバテの担当する高い教養に裏打ちされた音楽欄は、評判がよく、ルバテは文筆家として若くして頭角を表すようになった。
 
[[1933年]]より、同じく[[保守]]系の新聞『[[ジュ・スィ・パルトゥ]]』に寄稿。以後は、以前より政治的主張で違和感を感じ覚えていた『アクション・フランセーズ』ではなく、こちらを中心にジャーナリストとして活躍する。
 
1933年に隣国[[ドイツ]]において、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]を中心とする[[ヒトラー内閣|内閣]]が誕生すると、ルバテはその強行的な”改革”([[ドイツ共産党|共産党]]、[[ユダヤ人]]に対する弾圧等)を観て、驚嘆し、自国フランスにおいても、強力なドイツに対抗しうる政権を臨むようになる。そのためには緊急かつ強力にユダヤ人を排除せよという主張を繰り広げた。