「ジョージ・スティーヴンス」の版間の差分
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[[1933年]]に念願の監督デビューを果たす。[[1935年]]、[[キャサリン・ヘプバーン]]主演の『乙女よ嘆くな』がアカデミー作品賞にノミネートされ、出世作なる。以降は[[フレッド・アステア]]と[[ジンジャー・ロジャース]]の名コンビを配した『有頂天時代』、キャサリン・ヘプバーンと[[スペンサー・トレイシー]]が最初に共演した『女性No.1』、[[ケーリー・グラント]]主演で冒険活劇『ガンガ・ディン』や人情喜劇『愛のアルバム』などジャンルを問わず娯楽作を世に送り出し、いずれも大ヒットした。また1942年の『希望の降る町』と1943年の『The More the Merrier』でアカデミー作品賞に連続でノミネートされた。
戦前は娯楽映画を中心に撮ったが、[[第2次世界大戦]]中に[[アメリカ陸軍]]の映画斑に所属し戦争を実体験したことから、戦後は人間の内面を描いた作風に変わる。[[1948年]]の『ママの想い出』を皮切りに、[[1951年]]に[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]監督の『[[アメリカの悲劇]]』のリメイク『
そして[[1955年]]、壮大な家族ドラマで[[ジェームズ・ディーン]]の遺作となった『
[[1959年]]に初めて[[シネマスコープ]]を採用して『
息子のジョージ・スティーヴンス・Jrは[[アメリカ映画協会]]の代表職を長年務め、アメリカ映画の保存と後進の育成に尽力した。
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*『乙女よ嘆くな』-Alice Adams 1935年
*『[[有頂天時代]]』-Swing Time 1936年
*『踊る騎士』-A Damsel in Distress 1937年
*『偽装の女』-Quality Street 1937年
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*『病院の一夜』-Virgil in the Night 1940年
*『愛のアルバム』-Penny Serenade 1941年
*『女性
*『希望の降る町』-The Talk of the Town 1942年
*『ママの想い出』-I Remember Mama 1948年
*『[[陽のあたる場所 (映画)|陽のあたる場所]]』-A Place in the Sun 1951年
*『[[シェーン]]』-Shane 1953年
*『[[ジャイアンツ (映画)|ジャイアンツ]]』-Giant 1956年
*『[[アンネの日記 (1959年の映画)|アンネの日記]]』-The Diary of Anne Frank 1959年
*『偉大な生涯の物語』-The Greatest Srory Ever Told 1965年
41行目:
*[[ジョージ・キューカー]]
*[[ルイス・ブニュエル]]
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