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明帝が36歳で崩御して太子の斉王(曹芳)が即位すると、曹爽は侍中の位を与えられ、「剣履上殿」「入朝不趨」「謁讚不名」(剣を帯び、靴を履いたまま昇殿し、小走りに走らずともよく、皇帝に目通りする際は実名を呼ばれない)と言う特権を与えられた。<br/>
初めは司馬懿に対して父親に等しい対応で接していたが、[[何晏]]ら取り巻きの提言で権力を独占しようと画策し、[[司馬懿]]を[[
魏は文帝([[曹丕]])以来、皇族などの近親者を政治・軍事両面から遠避ける政策を採っていた。遠縁の[[曹冏]]([[曹騰]]の従玄孫)はこれを憂慮し、一族を登用して藩塀(国家を守る壁)としての役目を果たさせるべきと意見した。しかし、曹爽はこの意見を採用することはなかった。
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