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平安時代の[[延喜]]年間([[901年]]~[[922年]])に[[日蔵]]上人により開かれたと伝わる。南北朝時代には後醍醐天皇の勅願所とされた。慶安3年(1650年)、鉄牛上人という僧によって再興され、浄土宗に改宗した。
 
正平32年12月(1651(1346年)、[[楠木正成]]の長男・[[楠木正行]]が[[四条畷の戦い]]に出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。
 
== 境内 ==