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{{ Infobox 航空機
| 名称=C-141 スターリフター
| 画像=Image:USAFHanoi LockheedTaxi C-141Cover Starlifter 65-0248NMUSAF.jpg
| キャプション=[[アメリカ空軍]]のC-141C
| 用途=軍用輸送
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== 概要 ==
[[1960年]][[11月15日]]にアメリカ空軍は、仕様運用要求(SOR, Specific Operational Requirement)182と名付けた新型輸送機に関する提案要求書をまとめた。27tの貨物を搭載して3,500海里を飛行でき、低空からの物資および空挺部隊の投下が行える機体が要求された。同年[[12月21日]]に[[ボーイング]]、[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]]、[[コンベア]]、[[ロッキード]]の4社に提案要求書が出された。各社がそれぞれ設計案を提示したが、[[C-130 (航空機)|C-130 ハーキュリーズ]]輸送機の開発に成功していたロッキード社が優位な立場にあることは明らかであり、[[1961年]][[3月13日]]に予想通りロッキード社の設計案が選定され、C-141として採用された。
 
各社がそれぞれ設計案を提示したが、[[C-130 (航空機)|C-130 ハーキュリーズ]]輸送機の開発に成功していたロッキード社が優位な立場にあることは明らかであり、[[1961年]][[3月13日]]に予想通りロッキード社の設計案が選定され、C-141として採用された。
機体の開発は、地上における輸送・積み込みシステムとの一体化を考慮して行われている。そのため、貨物室は463Lパレットシステムに適合したものとして設計された。[[1961年]]8月に発注が行われ、量産初号機の初飛行は[[1963年]][[12月17日]]([[ライト兄弟]]の動力初飛行記念日)に初飛行している。[[1964年]][[10月]]からアメリカ空軍軍事航空輸送部(MATS)の第443空輸航空団への配備が始まり、[[1965年]][[4月23日]]には[[ベトナム戦争]]の支援空輸活動に投入され、これが初の実戦投入となった。その後、[[湾岸戦争]]の際も空輸活動を行っている。
 
機体の開発は、地上における輸送・積み込みシステムとの一体化を考慮して行われている。そのため、貨物室は463Lパレットシステムに適合したものとして設計された。[[1961年]]8月に発注が行われ、量産初号機の初飛行は[[1963年]][[12月17日]]([[ライト兄弟]]の動力初飛行記念日)に初飛行している。

[[1964年]][[10月]]からアメリカ空軍軍事航空輸送部(MATS)の第443空輸航空団への配備が始まり、[[1965年]][[4月23日]]には[[ベトナム戦争]]の支援空輸活動に投入され、これが初の実戦投入となった。その後、[[湾岸戦争]]の際も空輸活動を行っている。

C-141は後継機として[[C-17 (航空機)|C-17 グローブマスターIII]]の配備が[[1993年]]7月から開始されたのに伴い、[[2004年]][[9月16日]]に2機のC-141Bが第305空輸航空団から退役し、[[航空機動軍団]]からは姿を消した。[[空軍予備役軍団]]では第445空輸航空団が最後の配備となり、[[2003年]][[9月26日]]の[[イラク]]での空輸ミッションがC-141にとっての最後の実働ミッションとなった。[[2006年]][[4月7日]]にC-141C(#166)がラストフライトを終え、同年[[5月5日]]には[[1973年]]に[[ハノイ]]からアメリカ本土へ捕虜を輸送し、'''ハノイ・タクシー'''のニックネームを持つC-141C(#177)が[[国立アメリカ空軍博物館]]までのメモリアルフライトを実施。これを最後にC-141全機が空軍から退役した。

なお、C-141Aの民間向けデモンストレーション機・L-300が1機製造されたが、量産は行われず、後に[[アメリカ航空宇宙局]]の[[カイパー空中天文台]]となっている。
 
== 機体構成 ==
機体構成は軍用輸送機としては一般的なものであり、細長い与圧式の胴体に主翼を高翼で配置し、4基の[[プラット・アンド・ホイットニー]]社製TF33[[ターボファンエンジン]]をパイロンを介して主翼に取り付けていた。主翼の後退角は25度、尾翼はT字型尾翼で、後部胴体には車輛の自走搭載も可能にするランプ付きのクラムシェル型貨物扉を備えていた。
 
C-141Aは兵員138名または担架80床を輸送できた。463Lパレットについては10枚搭載できる。[[ミニットマン (ミサイル)|ミニットマン]]ミサイルの輸送もできることも高評価に結びついた。[[1969年]]にC-141Aは284機が生産されて終了し、[[C-5 (輸送航空機)|C-5 ギャラクシー]]戦略輸送機の導入が開始されたが、C-141AはC-130とC-5の間を埋める能力を持つ輸送機として、アメリカ空軍の空輸戦力の一翼を担い続けた。
 
しかし、C-141Aにさらなる能力が求められるようになったことから、[[1977年]]からC-141Aに大規模な改修を加えることが決定され、[[1982年]]までに270機のC-141AがC-141Bへと改修された。C-141Bでの主な改修点は、胴体を主翼の前後で7.11m延長し、貨物室容積を約30%増加させた。機首部上部にはユニバーサル空中給油受油口を付け、フライング・ブーム式での[[空中給油]]を可能にしたなどで、機体寿命の延命と能力向上が図られている。
 
しかし、C-141Aにさらなる能力が求められるようになったことから、[[1977年]]からC-141Aに大規模な改修を加えることが決定され、[[1982年]]までに270機のC-141AがC-141Bへと改修された。C-141Bでの主な改修点は、胴体を主翼の前後で7.11m延長し、貨物室容積を約30%増加させた。機首部上部にはユニバーサル空中給油受油口を付け、フライング・ブーム式での[[空中給油]]を可能にしたなどで、機体寿命の延命と能力向上が図られている。搭載量は兵員205名(空挺部隊168名)または103床に増加、463Lパレットについては13枚となった。なお、[[1994年]]には、[[特殊部隊]]の作戦用にSOLL IIと呼ばれる改修が13機に対して施され、夜間低空飛行を行うための改修がされている。
 
[[1990年代]]中盤には、C-141Bに近代化改修を施すことが決定され、1997年から1999年にかけて63機がC-141Cに改修された。C-141Cでは全天候飛行操縦装置(AWFCS)、[[GPS]]強化航法装置(GPSENS)、デジタル式燃料量表示システム(FQIS)、空輸防御システム(ADS 携行式地対空ミサイル警報および対応装置)、Lバンド衛星通信(SACOM)システム、衝突防止装置(TACS)の装備が行われ、コクピットは[[グラスコクピト]]化されている。
 
== 派生型 ==