「重騎兵」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
OKBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: no:Tungt kavaleri
7行目:
[[中世]]にさしかかる時期になると、ウマの品種改良が進み大型化したこと、また[[鐙]]が発明されたことによって、重装備を纏いながらの騎乗が可能になり、馬上での戦いもやりやすくなった。これによって、機動力よりも突撃力を重視した重騎兵が一般的になった。
 
中国における[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の北朝や[[隋]]の他、[[遼]]や[[西夏]]・[[金 (王朝)|金]]といった周辺異民族の王朝では重騎兵が重要な地位を占めた。[[ビザンツ東ローマ帝国]]では馬までもが甲冑を帯びた[[カタフラクト]]が軍の主力となった。[[モンゴル帝国|モンゴル軍]]や、初期[[イスラム帝国]]~[[オスマン帝国]]を通して[[西アジア|アラブやペルシャ]]の諸国家は軽騎兵による騎射と重騎兵による突撃を巧みに使い分けた。
 
中世ヨーロッパでは[[レヒフェルトの戦い]]において重装備の[[騎士]]の軍が数で倍する[[軽騎兵]]で構成された[[マジャール人]]の軍を打ち破るなど、重騎兵が大きな力を発揮し軍事上最も重要な地位を占めた。特に[[百年戦争]]後期フランスの騎士などは非常に重い馬鎧を馬に着せたため頑強な防御力を誇った。しかし、その分機動力が極端に小さくなってしまった。[[アジャンクールの戦い]]ではこれが裏目に出て、射程のある長弓の連射により次々と撃たれてしまったと言われる。