「リシャール・ヴィランク」の版間の差分

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[[2003年]]、[[クイックステップ (自転車競技)|クイックステップ]]に移籍。この年の[[ツール・ド・フランス2000|ツール]]では、第7ステージを制し、総合首位にも立った。しかし続く[[ラルプ・デュエズ]]がゴールの第8ステージにおいて、区間優勝の[[イバン・マヨ]]に遅れること9分29秒差の35位と大敗し、マイヨ・ジョーヌは総合5連覇を狙う[[ランス・アームストロング]]へと移動した。しかし、4年ぶりに山岳賞を獲得し、ついに[[フェデリコ・バーモンテス]]、[[ルシアン・バンインプ]]とタイ記録となる6度目の受賞となった。
 
そして[[2004年]]の[[ツール・ド・フランス2004|ツール]]では、総合6連覇を達成したアームストロングに94ポイント差をつけ、ついに史上最多の7度目の山岳賞を獲得した。そしてこの記録を手土産とするかのように、同年8月開催のアテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]・個人ロードレース出場を経て、同年9月、引退を表明した。
 
主として、ツール・ド・フランスにおける[[クライマー (自転車競技)|クライマー]]として見られがちなヴィランク。実際のところ、ツール以外の[[グランツール]]出場実績は1999年の[[ジロ・デ・イタリア]](総合14位)しかなく、まさに選手生活の全てを、ツール・ド・フランス一本に注いだ選手ともいえる。ツール以外の主要レース実績としては、2001年の[[パリ〜ツール]]を優勝した他、[[ドーフィネ・リベレ]]において、4回の区間優勝記録がある。また1994年の[[世界自転車選手権]]個人ロードでは3位に入っている。