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'''ドーブリ・フリストフ'''(1875-1941、[[ブルガリア語]]:'''{{lang|bg|Добри Христов}}'''、[[ラテン文字]]表記:Dobri (Dobre) Hristov (Christov) (Khristov))は、[[ブルガリア]]の作曲家。同国の[[ヴァルナ (ブルガリア)|ヴァルナ]]出身。
 
1900年から1903年までプラハ音楽学校で[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]に学び、帰国後はブルガリアの近代音楽の父として国立音楽学校等で後進の指導にあたり、合唱音楽やオーケストラの作曲も行った。ブルガリア民謡の収集にも尽力している。[[正教会]]聖歌の作品は数多く、[[ブルガリア正教会]]のみならず[[ロシア正教会]]などでもその聖歌が歌われたり録音されたりする事は少なくない。
 
[[1912年]]から[[1928年]]にかけて、フリストフは「七聖人声楽アンサンブル(The Seven Saints Vocal Ensemble)」の指揮者に就任する。また、「七聖人」に同名の教会の聖歌隊指揮者にも就任した。これらの合唱団・聖歌隊のためにも、数多くの正教会聖歌が作曲された。