「ヨセフ・スク (作曲家)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
5行目:
クレチョヴィーチェに生まれる。[[1885年]]から[[1892年]]まで[[プラハ]]音楽院で[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]に学ぶ([[1898年]]にドヴォルザークの娘オチルカと結婚)。同級生と共にチェコ四重奏団を結成し、第2[[ヴァイオリン]]奏者を勤めた。 1922年から母校プラハ音楽院で教鞭を執り、[[ボフスラフ・マルティヌー]]らを指導した。ベネショフにて逝去。
 
スクの初期作品は、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]と[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の影響を示しているが、その半面、のちの作品では、拡張された[[和声]]と用いて、より個性的で複雑な様式を生み出している。成熟期の管弦楽曲は、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]や[[リヒャルト・シュトラウス]]からの影響を示唆している。多くの同郷人とは異なり、チェコの[[民族音楽]]はめったに使わなかった。[[第一次世界大戦]]に前後して、教育活動に忙殺されるようになると創作のペースが落ちたが、[[半音階]]的な書法が複雑になり、全体として晦渋な響きになっている。
 
=== 主要作品一覧 ===