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== 歴史 ==
[[Image:400px-Soltaniyeh exterior.jpg|right|thumb|200px|オルジェイトゥ廟]]
=== オルジェイトゥによる建設 ===
元々シャルーヤーズ Shūryāz と呼ばれていたところで、東南はアブハル Abhar 川、西北はザンジャーン川の分水嶺となっており周囲を遠望できる広大で緩やかな丘陵地帯に立地し、良好な草地に恵まれた土地であった。[[モンゴル帝国]]・イルハン朝時代にモンゴル遊牧部族民によって好適な夏の放牧地として親しまれ、[[モンゴル語]]で「黄褐色の草地」を意味する'''クンクル・ウラン'''( قونقور اولانگ Qūnqūr-Ūlāng < qoŋur-olaŋ)と称されるようになった。このため、イルハン朝の第2代君主[[アバカ]]以来、歴代君主の夏の幕営地(夏営地、ヤイラク yaylaq )のひとつとして重要視され、特に第4代[[アルグン]]は夏営地として好み、[[タブリーズ]]近郊に建設した都市アルグーニーヤに匹敵する新しい都市の建設を構想していた。また、この地の東にあったスジャース Sujās 山中に自らの墓所を営み、山域一帯を禁地( قورغ qūrugh < qoriγ〜qoruγ)と定めていた。