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[[Image:慶滋保胤.jpg|thumb|300px|慶滋保胤・『前賢故実』より]]{{文学}}
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'''慶滋 保胤'''(よししげ の やすたね、[[承平 (日本)|承平]]元年([[931年]])頃? - [[長保]]4年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]([[1002年]][[11月27日]]))は、[[平安時代]]中期の文人・[[儒学者]]。字は茂能。唐名は定潭。父は[[陰陽家]]・[[賀茂忠行]]であるが、家学であった[[陰陽道]]を捨てて[[紀伝道]]を志し、姓の''賀茂''を読み替えて''慶滋''とした。なお、「慶滋」のよみは「よししげ」とするのが一般であるが、[[幸田露伴]]は「かも」とよむべきであると作品の中で述べている。露伴の言うように、賀茂と慶滋は異字同義であり、保胤の弟らも同じく慶滋を名乗っていることから、恐らく本来のよみは「かも」であろう。