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*1990年の段階で日本で講演を行い、日韓で慰安婦問題に関心をもつ人間に連帯をよびかけ、関係者に大きな影響を与え、「日本軍慰安婦問題行動ネットワーク」「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク」などの団体の結成を促した。(同上、p88)
 
*社会党清水澄子などの民間基金の考え方には一貫して反対し、[[村山富市]]社会党首班内閣で設置されたその延長上である[[女性のためのアジア平和国民基金]]にも反対した。理由は慰安婦問題の解決には、責任の明確化、責任者の処罰、国家賠償が必要だとしたためである。女性のためのアジア平和国民基金が個別に元慰安婦に償い金受け取りを要請した際には、受け取ることは、基金が日本政府の責任を曖昧にし、うやむやのうちに終わらせるものだとして反対した。
 
*尹貞玉による日韓共同調査では太平洋戦争中には宮古島に13カ所の日本軍「慰安所」があったことが明らかにされた、当時島民は6500人だが日本軍は3000人が常駐し、狭い島に日本軍、住民、日本軍「慰安婦」が近接混ざり合って住んでいた事がわかっている。