「1987年イタリアグランプリ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
45行目:
</ref>。
予選では[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]の
決勝スタート時に[[リカルド・パトレーゼ]]のマシンから出火し、スタートがやり直しとなった。このため、予定より1周少ない50周でレースが争われた。
レースはスタートからピケがリードを奪うが、ピケがタイヤ交換を行うと、タイヤ無交換作戦を選択した[[アイルトン・セナ]]のロータスがトップに立った。レース終盤に周回遅れの処理を誤ったセナがパラボリカでコースアウトすると再度ピケがトップに浮上し、そのままゴールした。ウィリアムズは初めて持ち込んだアクティブサスペンション車で勝利を獲得した。
レースウィーク中にはウィリアムズとホンダの契約が1年を残し1987年いっぱいで打ち切られると発表された。[[1986年のF1世界選手権|1986年シーズン]]にコンストラクターズタイトルを獲得し、この年もタイトル争いをリードしているコンビネーションの解消は大きなニュースとなった。これには、マンセルとピケを擁するウィリアムズが[[中嶋悟]]をレースドライバーとして採用させようとするホンダ側の要求を拒絶したことが契約打ち切りの一因だとの見方があった<ref>{{cite web | title = BBC SPORT | url = http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/motorsport/formula_one/6128596.stm | accessdate = 2008-07-28}}</ref><ref>{{cite web | title = Grandprix.com | url = http://www.grandprix.com/ns/ns17730.html | accessdate = 2008-07-28}}</ref><ref>{{cite web | title = Telegraph.co.uk | url = http://www.telegraph.co.uk/sport/2293959/Formula-One-sons-start-their-engines.html | accessdate = 2008-07-28}}</ref>。
58 ⟶ 60行目:
|-
! 順位
! No.
! ドライバー
! マシン
|