「アンティパトロス」の版間の差分

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== アレクサンドロスの元で ==
 
紀元前336年にフィリッポスが暗殺され、アレクサンドロス3世が王位に就いた時にはアンティパトロスは若い王を力強く支えた。アレクサンドロスの東方遠征の際、彼はマケドニア本国に残り、王国の統治、反乱の種のくすぶっていたギリシアの見張りを任された。案の定、王の留守を狙って[[紀元前332年]]に[[トラキアのメムノン]](ペルシアの将軍のメムノンとは別人)が、[[紀元前331年]]に[[スパルタ王]][[アギス3世]]がマケドニアに対して反乱を起こした。アンティパトロスは二正面作戦を避けるため、メムノンを許し、アギスと戦った。紀元前331年、アンティパトロスは[[メガロポリスの戦い]]でアギスを破りそれに勝利反乱を鎮圧した。
 
彼はアレクサンドロスの母[[オリュンピアス]]とは当初は友好的な関係で、アレクサンドロスは実は彼の子だという噂が流れるほどであったが、この気の強い王の母との関係は徐々に悪化した。現に彼女は息子に向かってアンティパトロスを非難する手紙を書き送っている。<br>