「カーロス・エリオット」の版間の差分

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同じジムに所属していた[[マーク堀越]]と同様に、日本でライセンスを取り、日本のリングでキャリアを築いたボクサーである。近年増加している実績のある海外選手をスカウトした「輸入ボクサー」ではない。デビューから6戦全KO勝利で国内ウェルター級ランク1位に上り詰め、[[1984年]]に日本タイトルに初挑戦した。チャンピオンの[[串木野純也]]は、過去11回の防衛戦を10KOで勝った屈指の強打者だった。若いエリオットは、初回から王者をスピードで圧倒し、5回まで滅多打ちにする。王座奪取は時間の問題と思われたが、6回開始早々の串木野の右ストレートでダウン。立ち上がったものの、右フックで再びロープの外に投げ出されるようなダウンを喫する。わずか7戦目の日本王者への挑戦は、経験の浅さでエリオットの逆転負けとなった。
 
翌[[1985年]]、階級をスーパーウェルター級に上げて日本タイトルを獲得。日本国内ではエリオットの強打を対戦相手が避けてしまい、対戦相手がいなくなる。[[1987年]]、[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]スーパーウェルター級王座を獲得する。国際試合を経験しながら世界タイトル挑戦をうかがう予定だったが、伏兵のフランシスコ・リスボア({{IDN}})に判定負けする。5ヶ月後、リスボアをKOしてタイトルを奪回。[[1991年]]、デビュー29戦目で、ジルベール・デレ({{FRA}})との[[世界ボクシング協会|WBA]]世界スーパーウェルター級王座決定戦に挑戦するチャンスをつかむ。しかし、アジア太平洋圏では無敵を誇ったエリオットだったが、7回に顎を打ち砕かれてKO負け。病院に搬送されて意識不明の重になった。退院後、現役引退を発表した。
 
== 戦績 ==