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Jesudonbay (会話 | 投稿記録)
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以前書いた通り、「大光明真神」は世界救世教の解説として不適切です。昔はそうだったという記述は意味がありません。信者は海外だけで100万人を越えているので(タイ66万人、ブラジル40万人)この人数は正しくありません。
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
:ご神体については現在のところ各派異なりますが今後は分かりませんが、世界救世教を紹介しているページなどでは「ご神体」は「大光明真神」と記載してあるようです。信徒数については概算180万人では如何でしょう。
しかし、この数字の確証はという点が気になります。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
 
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岡田が昭和10年から提唱し普及している、無肥料無農薬の農法。
 
≪先頭に挿入「蒐集の主な動機」≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)また、文化芸術に関しても、この教団の特異性が見受けられる。教祖の眼力で昭和10年代から蒐集した美術品、尾形光琳作「紅白梅図屏風(紙本金地著色紅白梅図)」、野々村仁清作「色絵藤花文茶壷」、「手鑑翰墨城」国宝3点をはじめ重要文化財65点、重要美術品など含め3000点余りの所蔵品を熱海市にある[[MOA美術館]]と箱根町強羅にある[[箱根美術館]]にて展示している。
 
美術品自慢よりも、なぜ美術が重要視されているのかという思想背景の方が重要ではないでしょうか。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
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*<del>岡田茂吉は大本教の[[出口王二三郎]]に師事し幹部までになった人物であるが、大本に学びながら独自の心霊研究を進めていた。他の大本教の幹部などの反発もあり心霊研究に没頭するため大本を離脱した後「浄霊」という画期的なヒーリング法を生みだす。</del>
≪↑この部分は大本のページから拾って編集したものです≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
岡田は、病気とは霊、魂が曇るところから生じるものであるとし、手をかざすことによって神の光を放射し、霊の曇りを取り除くことで、自ずから病は癒えるとする浄霊を提唱した。なお、浄霊という言葉は岡田による造語である。
 
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これは必要のない情報でしょう。これよりも必要な情報は、現在のおひかりは、チタンかセラミックであるということでしょう。そもそもおひかりの入れ物の説明は不用でしょう。光の文字をかけて浄霊をするということをまず書き、その入れ物は、昔は絹袋、現在はチタンかセラミックであることを書けばよく、途中経過は不要でしょう。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
≪チタン、セラミックだけではありません。≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
 
全体を通じて、長すぎて不要な装飾が多いと思います。「岡田茂吉がそれをはじめたときの考え」を短く書き、必要ならば「(三派に気を使った内容で)現在はこうである」ということを書けば十分で、途中の状況はあまり必要ないと思います。また、主観的な「画期的」とか「現代的」とかはWikipediaなので書かない方がいいでしょう。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
:了解です。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
== 教団の特徴 ==