「ハインリヒ・イザーク」の版間の差分

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イザークは幅広い変化にとんだ楽曲をのこしており、[[ミサ曲]]、[[モテット]]、[[ドイツ語]]歌曲、[[イタリア語]]歌曲、器楽曲などがある。当時の最も多作な作曲家のひとりだが、永年にわたるジョスカンへの好評からその陰に隠れてきたきらいがある。(ちなみに[[アントン・ヴェーベルン]]はイザークに関する論文で学位を取得している。)
 
彼の最も有名な作品は、おそらくドイツ・[[リート]]《'''インスブルックよさようなら''' ''Innsbruck, ich mussmuß dich lassen'' 》であろう。この曲は、しかしながら旋律そのものはイザークの創作ではなく、単なる(民謡の)編曲だったのかもしれない。この旋律は後に[[ルター派]]の[[コラール]]《おお世よ、われ汝より離れざるを得ず ''O Welt, ich mussmuß dich lassen'' 》にも流用され、[[バッハ]]作品や[[ブラームス]]の[[オルガン]]曲の基礎となった。
 
イザークは《コラリス・コンスタンティヌス(コンスタンツ大聖堂の合唱曲)''Choralis Constantinus'' 》を未完成のままで遺した。これはミサ固有式文の通年分を完全に作曲(多声化)する最初の試みとして知られ、およそ100曲が含まれている。イザークの門弟[[ルートヴィヒ・ゼンフル]]がこの曲集を完成させたが、その死後[[1555年]]になるまで完成出版されなかった。イザークはミサ通常文によっても40曲あまりを遺した。
 
[[Category:1450年生|いさあく はいんりひ]]