「清水東三羽烏」の版間の差分

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その後大学、社会人サッカーでは大榎は[[早稲田大学]]→[[ヤマハ発動機サッカー部]](現[[ジュビロ磐田]])。長谷川は[[筑波大学]]→[[日産自動車サッカー部]](現[[横浜F・マリノス]])。堀池は[[順天堂大学]]→[[読売サッカークラブ]](現[[東京ヴェルディ]])と所属チームが分かれ、関東大学サッカーリーグ戦、[[日本サッカーリーグ|日本リーグ]]とでライバル関係を築いたが、[[1991年]]に[[清水市]]([[2003年]]4月に旧[[静岡市]]と対等合併し、現在の新静岡市となる)が[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]参戦を念頭において結成したクラブチーム・清水FC([[清水エスパルス]])に3人が集結。Jリーグ草創期をにぎわせる存在となった。
 
1993年には、堀池が日本代表の不動の右サイドバックとして活躍しており、[[ドーハの悲劇]]で知られるW杯米国大会アジア最終予選では、直前に代表招集された他の二人と長谷川、三人揃って日本代表に名を連ねている。