「エーリヒ・ハルトマン」の版間の差分

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==戦後==
敗戦後はアメリカ軍に投降したハルトマンだったが、ソ連に引き渡され、戦争犯罪人として10年半抑留されて強制労働に従事させられ、[[NKVD]]によって虚偽の犯罪自白書類へのサインの強制、接収されたMe262に対する情報提供など、ハルトマン本人は終始断固として拒否したものの、NKVDから様々な圧迫、脅迫を受けた。同じくエースパイロットで、ハルトマンをよく知る[[ギュンター・ラル]]は、「(帰ってきた時には)目の輝きが消え失せてしまった」と、ハルトマンのソ連抑留体験の過酷さを表現している。[[1955年]]に釈放されて[[西ドイツ]]に帰国後、西ドイツ空軍に入隊してジェット戦闘機の教官等を務め(アメリカ空軍の訓練のため、招かれてラルと共にアメリカへ訪れたこともある)、アメリカからの帰国後、戦闘機爆撃部隊長の任を受けるが、受託を拒否し、暫定的に[[1958年]]春に[[オルテンブルグ]]の戦闘機パイロット学校の副校長に就任。同年6月に空軍部隊の第71戦闘航空団「リヒトホーフェン」の戦闘航空団司令に就任。[[1970年]]に[[大佐]]で現役を退いた(退役時に[[少将]]に名誉進級)。[[画像:hartmannExample.jpg]]
 
==逸話==