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'''千葉 輔胤'''(ちば すけたね'''岩橋 輔胤'''、[[応永]]28年([[1421年]]) - [[明応]]元年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]([[1492年]][[3月13日]]))は、[[室町時代]]中期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期にかけての[[武将]]。[[千葉氏]]の第21代当主。第19代当主・[[馬加康胤|千葉康胤]]の庶子で初めは「岩橋」氏を名乗った。(但し、岩橋氏を千葉氏の庶流として康胤と輔胤の直接の血縁関係を否定する説も有力である)。官位は従五位下、千葉介(異説有)。子に[[千葉孝胤|孝胤]]、[[椎崎胤忠]]がいる。
 
輔胤の時代の千葉氏周辺の状況について詳細な史料が存在しないため、輔胤の実像については様々な説がある(千葉姓を名乗ったかどうか、佐倉城への移転の時期がいつか等)。
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== 千葉氏非当主説 ==
印東庄岩橋村(現在の[[千葉県]][[印旛郡]][[酒々井町]]岩橋)の領主であった。
それ以前の居城については定かではないが、[[享徳の乱]]に乗じ千葉氏宗家を攻め滅ぼした[[原胤房]]が、[[東常縁]]に追われ逐電した後、[[文明_(日本)|文明]]年間([[1469年]] - [[1486年]])に[[本佐倉城]](現在の酒々井町本佐倉)を築城したと伝えられている。
 
子の孝胤の代に重臣団の後押しを受けて千葉氏当主を自称して以降、輔胤の系統が下総千葉氏の当主となるが、輔胤自身は岩橋姓のままであった。
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== 外部リンク ==
*[http://members.jcom.home.ne.jp/bamen/index.htm 千葉氏の一族]
 
 
{{先代次代|[[千葉氏|千葉氏歴代当主]]|-|[[馬加胤持]]|[[千葉孝胤]]}}
 
{{people-stub}}
[[Category{{DEFAULTSORT:室町時代の人物|ちは すけたね]]}}
[[Category:室町時代の人物]]
[[Category:千葉氏|すけたね]]
[[Category:1421年生|ちはすけたね下総国の人物]]
[[Category:14921421没|ちはすけたね]]
[[Category:下総国の人物|ちはすけたね1492年没]]