削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目:
その後アリダイオスはマケドニア宮廷において長らく日陰の存在であったが、紀元前323年に弟のアレクサンドロスが急死したことから事態が急転回する。一代で大帝国を築き上げながら32歳の若さで病死したアレクサンドロスには王位を託すに足る息子がおらず、しかもその遺言は「最も強き者がわが後を継げ」という、諸将にとっては大いに困惑させられるものであった。
 
当時血縁上アレクサンドロスに近しい者としては、まずアレクサンドロスと愛妾[[バルシネ]]の間に生まれた[[ヘラクレス (アレクサンドロス3世の子)|ヘラクレス]]がいたが、幼少のうえ庶出という弱みがあった。武将[[ネアルコス]]は彼を推薦したが、賛同する者は皆無であったという。アレクサンドロスの正妃[[ロクサネ]]は当時妊娠6ヶ月であったが、むろん生まれてくる子供の性別もわからない状態では如何ともしがたかった。[[ペルディッカス]]はひとまず彼女の出産まで事態を据え置くことを提案したが、[[プトレマイオス1世|プトレマイオス]]はいずれにせよ異国人の血を引くことになる王子の継承に反対し、重臣たちの合議制を提案した。武将[[メレアグロス ()|メレアグロス]]は他の者たちの口論を一蹴し、いち早く軍隊の掌握を図った。
 
クルティウス・ルフスによれば、このとき無名の兵士が突然アリダイオスの名をあげ、彼こそが王たる資格を持つ唯一の人物であると主張した。多くの者はこの意見に賛同し、大勢は一挙にアリダイオスに傾いた。当時バビロンに居合わせたアリダイオスが直ちに連れてこられ、ピリッポスの名によって歓呼を受けると、メレアグロスが即刻アリダイオスの支持を表明し、後見人として事実上の最高権力者となることをはかった。恐れを抱いたペルディッカスとメレアグロスの間であわや内戦が始まりかけたが、この時アリダイオスは兵士たちに戦いをやめるように説得し、見事に開戦を阻止してみせた。しかしわずか数日後、軍隊を清める儀式の最中に、ペルディッカスの策によってメレアグロスは支持者もろとも滅ぼされた。