「伊集院頼久」の版間の差分

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'''伊集院 頼久'''('''いじゅういん よりひさ'''、生没年不詳)は、[[室町時代]]中期の[[薩摩国|薩摩]]の人。薩摩[[島津氏]]の一族、[[伊集院氏]]の7代当主。父は6代[[伊集院久氏|久氏]]。子に[[伊集院煕久|煕久]](為久、7代)、女(島津宗家8代当主[[島津久豊|久豊]]の室)。
 
伊集院氏7代当主。6代久氏の四男。[[応永]]16年([[1409年]])、[[室町幕府]]より[[島津元久]]が薩・隅・日三州の[[守護]]に任命されると、御礼の使者として先遣に任ぜられる。頼久は元久が上京する一年前から準備を整え、翌年元久が将軍[[足利義持]]に面謁した際の献上品は幕府の高官を驚かせただけではなく、天下の評判ともなった。
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[[応永]]24年([[1417年]])、久豊が平山城を包囲すると頼久は救援に向かい優位に戦を進め、久豊を包囲する。両者は豪族吉田清正の仲介で和解することとなるも、久豊の家臣団が頼久を急襲、逆に頼久が助命を請う事態となる。二人は元々従兄弟であったことから、久豊が後妻として頼久の娘を娶ることで和解に至る。久豊は和解の条件として、伊集院氏に従来通り伊集院の支配を認めた。頼久は熙久に家督を譲ると川辺平山城で隠居、この地で没する。後に[[伊集院頼久の乱]]と呼ばれる争いはこうして幕を閉じた。
 
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[[category:室町時代の人物]]
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[[Category:伊集院氏|よりひさ]]