「藤原中清」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Andee (会話 | 投稿記録)
m 別人へのリンクを回避
Masyu (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''藤原 中清'''(ふじわら の なかきよ、生没年未詳)) は、[[平安時代]]中期の廷臣。[[藤原北家]][[藤原長良|長良]]流の一族、[[備中国|備中]]守[[藤原為雅]]の長男。母は[[伊勢国|伊勢]]守[[藤原倫寧]]女。子に[[藤原範永|範永]]、範基、永禅、[[源頼国]]室などがある。[[諱]]は'''仲清'''とも記される。
 
[[受領]]層の中級貴族として[[尾張国|尾張]]、[[周防国|周防]]、[[河内国|河内]]、備中などの[[国司]]を歴任したほか[[内匠頭]]などを務め[[正四位下]]に至った。尾張守在任時の[[寛弘]]5年([[1008年]])には[[丹波国|丹波]]守[[高階業遠]]と共に[[五節舞|五節]]の舞姫を献上する国司としてその名が見える一方、同じ年に任国尾張の[[郡司]]、[[百姓]]らによって非法を愁訴されたとの記録が残る。
8行目:
[[Category:藤原北家|なかきよ]]
{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:ふしわら なかきよ}}