「中華航空825便爆破事件」の版間の差分

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[[Image:Finnair Caravelle Basle Airport - April 1976.jpg|thumb|300px|事故機となったカラベルの同型機(フィンエア/1973年撮影)]]
'''中華航空825便爆破事件'''(ちゅうかこうくう825びんばくはじけん)とは、[[台湾]]([[中華民国]]の[[航空会社]]・中華航空(現:[[チャイナエアライン]])の[[旅客機]]が[[台湾海峡]]で空中爆発した事件である。航空当局は機上に仕掛けられた爆発物による[[航空]][[テロ]]の疑いが強いとしたが、犠牲者の遺体が発見されず、遺留品もほとんど回収されなかったため、事件の背景は一切不明である。
 
== 事件の概要 ==
[[1971年]][[11月20日]]、中華航空825便は日華香間を結ぶ航空路線であり、[[シュド・カラベル]]双発ジェット機([[フランス]]・シュドアビアシオン製、[[1962年]]製造、[[機体記号]]B-1852)で運航されていた。大阪国際空港([[伊丹空港]])を乗員7名、乗客63名を乗せ午後4時47分(日本時間)に離陸した。途中[[沖縄県|沖縄]]の[[那覇空港|那覇]]を経由し、中華民国の[[台北松山空港]]を香港に向けて現地時間(日本時間より1時間遅れ)午後9時2分(日本時間午後10時2分)に離陸した。乗員は台北で全員交代しており、乗客も夜行便ということで少なかった。
 
香港の到着予定時刻は午後10時50分(現地時間、日本時間より1時間遅れ)を予定していた。825便は午後9時33分に定時連絡したがその直後に高度26000フィート(およそ8000m)から[[澎湖諸島]]の近海に墜落した。
 
この事件で乗員8名、乗客17名の合わせて25名全員が犠牲になった。墜落原因として、澎湖諸島の島民から事故機が午後9時35分ごろに空中爆発し、海中へ墜落するのを目撃したとの証言があった。そのため飛行中に墜落原因として仕掛けられた爆弾が爆発し[[空中分解]]したものと見られているが、僅かな機体の残骸が漂着したほかは犠牲者の遺体も発見できなかった。なお残骸は海底に沈んだとみられるが、サルベージは行われなかった。このように、証拠が確認されたわけではないため破壊活動が行われたのは確実だといわれているが、確証があるものではない
 
事件のあった1971年11月には、[[国際連合|国連]]の中国代表権の交代([[中華民国]](国府)政府が安事会の常任理事国から追放され、かわりに[[中華人民共和国]]が就任)という歴史的出来事があったが、事件との関連は不明であり、そのため爆発物を誰がしかけたかなどは明らかになっていない。また犯行声明が寄せられたこともない。
 
== 備考 ==
*事故機はカラベルⅢとよばれるタイプで中華航空機は定員64名仕様だった。また事件当時はすでに生産終了していた。
*乗客の国籍は中華民国人7名、[[日本人]]と[[イラン人]]各3名、[[シンガポール]]2名、[[ベトナム]]、[[ブラジル]]各1名ずつであった。そのうちブラジル人は在華ブラジル[[大使]]というVIPであった。また日本人の犠牲者は中華航空の女性客室乗務員とその兄夫婦であった。3人は休暇中で中華民国台北観光旅行して香港に向かう途中に悲劇に見舞われた。
 
==関連項目==
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*朝日新聞、1971年11月22日付紙面
 
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[[Category:1971年]]