「井真成」の版間の差分

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'''井真成'''(いのまなり、せいしんせい、いのまなり?、[[698年]]? - [[734年]]([[日本]]:[[天平]]6年、唐:[[開元]]22年))は、[[中国]]の古都・[[西安]]で墓誌が発見された、[[奈良時代]](中国の[[唐]]時代)の日本人留学生の姓名。日本名は不明。
 
==概説==
「井真成」は、[[中華人民共和国]]で発見された墓誌に、日本人留学生として記されていた姓名である。
 
墓誌は、同国[[陝西省]][[西安市]]内の工事現場から発見されたと、同国の[[西北大学 (中国)|西北大学]]が、[[2004年]][[10月12日]]に発表した。墓誌は発見された後、一度個人の所蔵となったが、西北大学付属博物館が収集したものである。<ref>中国新聞網報道[http://www.chinanews.com.cn/news/2004/2004-10-12/26/493191.shtml]{{zh icon}}</ref>
 
墓誌には、日本人留学生の井真成が、[[開元]]22年(西暦[[734年]])正月■(朔~十,廿のいずれか)日に死去したので、「尚衣奉御」の官職を遺贈されたなどと記されている。これは考古学的に、中国で発見された最初の日本人の墓誌であり、現存の資料のなかで日本の国号を「日本」と記述した最古の例である。
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== その研究 ==
研究によれば、井真成は[[717年]]([[養老]]元年)、多治比真人県守を大使とする[[遣唐使]]とともに渡唐したとされる。これは、[[阿倍仲麻呂]]や[[吉備真備]]と同時期の渡唐である。井真成の死去の前年である[[733年]](日本:天平5年、唐:開元21年)には、多治比真人広成を大使とする遣唐使が渡唐し、翌年には留学生[[吉備真備]]らを連れて帰朝している。したがって、この遣唐使がまだ唐に滞在中に病死したものと考えられる。また、墓誌に'''日本'''という国名があることが興味深い。2005年(平成17年)12月には、NHKスペシャル「新シルクロード」で、井真成のイメージドラマが放送された。<ref>NHKスペシャル-新シルクロード「[http://www.nhk.or.jp/silkroad/detail/10.html 第10集 西安 永遠の都]」</ref>
 
 
井の姓は中国風に一字に省略したもので、古代の帰化系氏族「井上(いのへ)氏」あるいは同様の帰化系氏族「葛井(ふじい)氏」の出身ではないかと推定する研究者もいる。葛井氏ゆかりの[[葛井寺]]がある[[大阪府]][[藤井寺市]]では、同時期の葛井氏に「○成」という名が多く見られることを論拠として、井真成を「葛井真成」と呼び「せめて墓誌の形ででも”里帰り”を」と求める運動が起き、その”里帰り”が[[2005年]](平成17年)に実現され、[[アイセルシュラホール]]で一般公開された。<ref>読売新聞 2005年2月7日「[http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50207a.htm 西安の墓誌]」</ref>
 
井の姓は中国風に一字に省略したもので、古代の帰化系氏族「井上(いのへ)氏」あるいは同様の帰化系氏族「葛井(ふじい)氏」の出身ではないかと推定する研究者もいる。葛井氏ゆかりの[[葛井寺]]がある[[大阪府]][[藤井寺市]]では、同時期の葛井氏に「○成」という名が多く見られることを論拠として、井真成を「葛井真成」と呼び「せめて墓誌の形ででも”里帰り”を」と求める運動が起き、その”里帰り”が[[2005年]](平成17年)に実現され、[[アイセルシュラホール]]で一般公開された。
 
== 出自に関する諸説 ==
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***中国の言葉でまじめでまっすぐな人柄を指すときに使う言葉の音に似た姓名を皇帝より下賜されたのではないかと主張し、日本名に関しては不明と主張。
*中国姓説
**王維坤([[西北大学 (中国)|西北大学]]教授)
***「井」姓は唐の時代から長安周辺に多い姓であり、それを採用したと主張し、日本名に関しては不明と主張。
*その他
**「井」という姓は、九州の熊本県に多く存在する。<ref>新・古代学の扉 - [http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki/nikki001.html 井真成異見]</ref>
 
== 参考文献 ==
* 専修大学・西北大学共同プロジェクト 編『遣唐使の見た中国と日本 <small>新発見「井真成墓誌」から何がわかるか</small>』(朝日選書、2005年) ISBN 4-02-259880-8
* 藤田友治 編著『遣唐使・井真成の墓誌 <small>いのまなり市民シンポジウムの記録</small>』([[ミネルヴァ書房]]、2006年) ISBN 4-623-04619-2
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
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* [[唐]]
* [[葛井寺]]
* [[アイセルシュラホール]] - 墓誌の里帰り展示後はレプリカを展示中。
* [[藤井寺市]]
* [[井真成市民研究会]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.chinanewschina-embassy.comor.cnjp/newsjpn/2004xwdt/2004-10-12/26/493191t193404.shtmlhtm 関連ニュースサイト井真成の謎を読み解く] - 駐日中国大使館 {{ja icon}}
* [http://www.china-embassynarahaku.orgo.jp/jpnexhib/xwdt2005toku/t193404kentoshi/kentoshi-1.htm 井真成遣唐使と唐謎を読み解く美術] {{ja- icon}}[[奈良国立博物館]]
* [http://www.narahaku.go.jp/exhib/2005toku/kentoshi/kentoshi-1.htm 遣唐使と唐の美術]
* [http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50207a.htm 西安の墓誌]
* [http://www.nhk.or.jp/silkroad/detail/10.html NHKスペシャル「新シルクロード」]
* [http://www.geocities.jp/imanarikenkyukai/ 井真成市民研究会]
* [http://www.f-sukiyanen.or.jp/modules/contents01/index.php?cat_id=9 「井真成」墓誌レプリカ展示解説] - 藤井寺市商工会
* [http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki/nikki001.html 新・古代学の扉>井真成異見]
 
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