「班田収授法」の版間の差分
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参照:三谷芳幸「班符と租帳 -平安中・後期の班田制について-」(所収:義江彰夫 編『古代中世の政治と権力』(吉川弘文館、2006年)ISBN 978-4-642-02446-4 |
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== 衰退と終焉 ==
班田収授は、[[奈良時代]]最末期になると、[[浮浪・逃亡]]する[[百姓]]の増加やそうした百姓を[[荘園|初期荘園]]が受け入れたことを背景として、次第に弛緩し始めた。そのため、[[桓武天皇]]は6年1班を12年1班に改め、班田収授の維持を図った。しかし、田地の不足、班田手続きの煩雑さ、偽籍の増加等により、平安時代初期には班田収授が実施されなくなった。[[902年]]([[延喜]]
== 関連項目 ==
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