「土屋耕一」の版間の差分

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'''土屋 耕一'''(つちや こういち [[1930年]][[5月11日]]- )は日本の[[コピーライター]]である。[[東京都]]出身。[[東京都立九段高等学校]]中退(正確には、戦後の混乱期により除籍)
 
[[東京都]]出身。[[東京都立九段高等学校]]中退(正確には、戦後の混乱期により除籍)。
 
==略歴==
東京・[[麻布十番]]で写真館を経営する父と、小唄の師匠をしていた母との間に生まれる。[[1959年]]にある知り合いから
[[資生堂]]の宣伝文化部を紹介され、デザイナーならびにイラストレーターをしていた[[山名文夫]]のもとで嘱託社員としてコピーの修行を積む。
 
その後[[1960年]]、日本初の広告制作プロダクションとして設立された[[ライトパブリシティ]]に入社、当時のライトパブリシティの主要アートディレクターならびにデザイナーとして知られる[[大橋正]]や[[和田誠]]と組んで、[[明治製菓]]や[[キッコーマン]]、[[伊勢丹]]、[[東レ]]などの企業広告のコピーを書いてゆく。当時は、文語体調に書かれた、やや重い響きを持つ文章が多かった中、土屋らしい話し言葉が持つ特性や、今の空気を反映した軽妙かつ洒脱な文章を書いていたことで、やがてその名を知られるようになる
当時の文章としては、文語体チックに書かれたやや重い響きを持つ文章が多かった中、土屋らしい話し言葉が持つ特性や、今の空気を反映した固くない軽妙かつ洒脱な文章を書くことでその名を知られるようになる。
 
[[1976年]]にライトパブリシティを退社後は、フリーに転じ「土屋耕一の仕事場」を開いた後も、コピーライターとして活躍し続け、その間に[[回文]]集「軽い機敏な子猫何匹いるか」([[誠文堂新光社]])や「さも虎毛の三毛 住まいの愉快学」([[住まいの図書館]])などの著作を発表したりもしている。
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*…かるく・あかるく・あるく・はる(伊勢丹)
*キナリ 好きなり 春となり(同上)
*ああ、スポーツの空気だ。(同上)
*こんにちは土曜日くん。(同上)
*テレビを消した一週間。(同上)
*戻っておいて、私の時間。(同上)
*あ、風がかわったみたい。(同上)
*ああ、スポーツの空気だ。(同上)
*女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。(同上)
*おれ、ゴリラ。おれ、景品。(明治製菓)