削除された内容 追加された内容
Newtype (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''永谷宗円生家'''(ながたにそうえんせいか)とは、[[元文]]3年([[1738年]])、「[[青製煎茶製法]]」を開発・普及させたと伝えられる[[永谷宗円]]が暮らし、[[明治]]まで永谷家が存在していた場所([[京都府]][[綴喜郡]][[宇治田原町]][[大字]]湯屋谷[[小字]]空広)に、[[製茶道具]]や[[ほいろ]]跡を保存するため、地元有志の手により[[昭和35年]]に建設された施設。「[[生家]]」と呼ばれるが、[[江戸時代]]の[[家屋]]が現存しているのではなく、永谷家の屋敷のあった場所に、実際の家屋よりも小さい[[茅葺き]]の建物を新たに建てたもの。内部にほいろ跡などが保存されており、奥の[[床の間]]には宗円時代の茶の古木の幹の一部といわれているものが置かれている。普段は[[雨戸]]が閉じられているのでわからないが、内部はほいろ跡のある土間と、[[畳]]敷きの座敷からなる。内部には[[蛍光灯]]を備え、[[雨戸]]を開けるとガラスがはまっている。家屋は宇治田原町[[指定文化財]]となっている。
 
無人の家屋である「生家」は数十年の歳月により、[[かやぶ茅葺屋根]]屋根の損傷が激しくなり、早急に修復が必要となった。そこで、平成18年、茶業関係者や地元区民らにより「永谷宗円翁顕彰会」が結成され、集められた寄付金により、平成19年4月より本格的な屋根の全面葺き替え工事行われた。そして5、同5に完成し、かやぶき屋根は美しい姿を取り戻した。
 
改修前の生家内部はほいろ跡のある土間と畳敷きの座敷に別れており、奥の[[床の間]]に宗円時代の茶の古木の幹の一部といわれているものが置かれていた。普段は[[雨戸]]が閉じられているのでわからないが、内部には[[蛍光灯]]を備え、[[雨戸]]を開けるとガラスがはまっているようなおよそ古民家らしくない作りであったが、屋根の修理に続いて内外装の改修も行われた。その結果、座敷は板敷きとなり、中央に囲炉裏を備えて風情のある作りとなった。しかし、解説ビデオを上映するテレビ機材が置かれたり、敷地内に東屋とトイレが作られるなど、「お茶のテーマパーク」のような施設となった。
 
現在、土日等の休日には内部を見学することができる。
 
== 関連項目 ==