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'''定光院'''('''じょうこういん'''、生年不詳 - [[延宝]]2年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]([[1674年]][[7月23日]]))は[[江戸幕府]]3代将軍[[徳川家光]]の[[側室]]。父は京都の官人で、青木直辰(異説として、青木利長の娘、斉藤氏の娘、太田氏の娘、成瀬氏の娘などともされる)。名はりさ。里佐、佐野とも。
 
[[元和 (日本)|元和]]9年([[1623年]])に家光の正室[[鷹司孝子]]の侍女として[[大奥]]に勤め始める。その後、家光に見初められて[[正保]]4年([[1647年]])に家光の五男・[[徳川鶴松|鶴松]]を産むが、翌年に逝去。家光が亡くなった後は落飾して定光院と号すが、鶴松と家光供養のために、[[春日局]]の姪である[[済松寺]]の[[祖心尼]]の弟子に入って長心尼になったという説もある。