「パオロ・ベッティーニ」の版間の差分

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* ヘルメットやシューズにあしらわれた金色がトレードマーク。かつてフレーム、バーテープ、ホイールまで金色に染めたロードバイクに乗った事もある。ヘルメットは金のプレートにダイヤモンドがはめ込まれている特注品([[トム・ボーネン]]らも使用)。
* 2006年に[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]で優勝したが、そのすぐ後に兄のサウロを交通事故で亡くし、悲しみのなか出場した[[ジロ・ディ・ロンバルディア]]で見事に優勝。泣きそうな顔で天を指差しながらゴールした。レース後のインタビューでは「オリンピックより[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]よりこの優勝がうれしい。今日は一人でペダルをこいでいるわけでなかった」と語り、周囲を涙させた。
* 2007年の[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]では中盤からスプリント王争いで首位に立っていたが、[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]に向けての調整のために途中でリタイアして帰国した。その際、最後に走った第17ステージで本来着用すべきポイントリーダージャージではなく[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]ジャージ[[マイヨ・アルカンシエル]]を着ていた。その後相当額のペナルティを主催者に払っていたと報道された。
* 2007年の[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]ゴール時には、ドーピング問題でのオーガナイズに対する不満から銃を乱射するゼスチュアを行い、一部から批判を受けている。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v= MRHEKzBmGbk&feature =related]</ref>
* 2007年10月6日、クイックステップチームの車に積んでいたロードバイクが盗難に遭う事件が起きたが、その中にはベッティーニがその一週間前の[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]で使用したバイクも含まれており、二年連続で[[世界選手権自転車競技大会|世界選手権]]後に悲劇に見舞われることになってしまった。
*2008年のジロ・デ・イタリアでは前半にマリアローザ(リーダージャージ)を着たチームメイトの[[ジョヴァンニ・ヴィスコンティ]]を献身的にアシストし、リーダージャージの守り方を伝授する姿が見られた。特に第7ステージではリーダージャージ争いの直接の相手の動きをヴィスコンティに代わって把握し、同時にヴィスコンティを励まアシストし続けて見事にマリアローザ流出を防いだ<ref>[http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=8217 ジロ・デ・イタリア2008第7ステージ現地レポート]</ref>。
 
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