「ポストドクター等一万人支援計画」の版間の差分

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==制定された経緯==
制定されたその背景には当時基礎研究に資金をあまり投入してなかった日本政府に対し、アメリカからの年次要望書の中に日本基礎研究にもっと資金を投入すべきであるとの記述議論があったことが理由の一つと言われている。<!--これはヒューマンフロンテ[[1994年]](平成6年)頃から主要なメディサイエンス辺り結実し於い、増えすぎた博士研究員(ポストドクター)を雇用するための救済策と解説されるよう気がしますった。[[1997年]]当時は平成9年2月21日付朝日新聞の「増加する大学院生」という記事な、大学院生の増加に関する議論が多く、[[オーバードクター|余剰博士]]の問題が指摘され始めたのは[[2001年]](平成13年)頃から[[AERA]]の「さまようポスドク一万人」などの記事がある-->
 
[[1994年]](平成6年)頃から主要なメディアに於いて、増えすぎた博士研究員(ポストドクター)を雇用するための救済策と解説されるようになった<!--この辺初耳-->が、始まった1996年度に於いては、博士研究員の余剰問題は存在せず、当時は[[1997年]](平成9年)2月21日付け朝日新聞の「増加する大学院生」という記事など、大学院生の増加に関する議論が多く、余剰博士の問題が指摘され始めたのは[[2001年]](平成13年)頃からであり、[[AERA]]の「さまようポスドク一万人」<!--書誌事項があるとベター-->などの記事がある。
<!--独自研究?
また一方で少子化による大学院の学生数の減少による文部科学省の利権の減少を危惧したことから、大学院生数を上昇させ利権の維持を目的として計画されたとの見方もある。
--><!--むしろ戦力を増やそうと云う議論ではなかったかと思います。日本にポスドクは殆ど居ませんでしたから。-->
 
==問題点==