「長楽寺 (福島市)」の版間の差分

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 当'''長楽'''(ちょうらくじ)[[福島県]][[福島市]]にある[[曹洞宗]]の[[寺院]]。[[山号]]は萬年山、寺号を長楽寺と称し、宗派は曹洞宗で、[[本尊]][[聖観世音菩薩です]]
 
 
== 沿革 ==
 * [[室町時代]]に[[上杉氏]]の重臣[[本庄氏]][[菩提寺]]として、はじめ[[越後]]小泉庄の中心地本庄(現新潟県[[村上市]])に創建建立されました[[開山]]は、[[耕雲寺]]10世の[[大仲玄甫]]。 
 
* [[慶長]]5年([[1600年]])、4世中興[[傑山雲勝]]の代に越後から現在の福島の地に移転。中興開基は、初代[[福島城]]主(当時は上杉家城代)で本庄氏31代当主の[[本庄繁長]]。
 開山は、耕雲寺十世・大仲玄甫大和尚です。御開山さまは、天文元年(1532)に示寂されましたが、室町時代末期に活躍した傑僧で、本庄氏が深く帰依をして特に勧請して開山にむかいいれたのです。御開山は、当寺の他に千眼寺(新潟)、勝方寺(福島)などに寺院を開かれています。
* 17世[[孝戒義仙]]の代に伽藍を焼失し、一部を復興。 
 
* 20世[[貞京智元]]の代に再度焼失。
 この御開山が、十世をつとめた耕雲寺は、曹洞宗大本山總持寺のご直末の寺院で、越後の曹洞宗寺院において一番古い名刹です。開山は、傑堂能勝大和尚ですが、南北朝の時代に活躍した楠正成の孫にあたり、楠家の家紋・菊水(縦に流れる三本川)を寺紋としました。当寺寺紋・菊水(末寺は横に流れる三本川)は、本寺(親寺)耕雲寺の寺紋を賜ったものです。
* 21世[[要門探玄]]の代に復興。
 
 
 現長楽寺は、慶長五年(1600)、越後から福島の地に移転再建立されたもので、福島・長楽寺における開山にあたるのは、四世中興・傑山雲勝大和尚です。また、中興開基は、初代福島城主(当時は上杉家城代)・本庄越前守平繁長侯です。御戒名は、長楽寺殿開基傑傳長勝大居士です。本庄家では、三十一代目の当主でした。
== 末寺 ==
 
* [[龍鳳寺]](福島市腰浜)
 寺誌によりますと、十七世・孝戒義仙大和尚の代に、伽藍が消失し、直ちに客殿、庫裡、大門等を建立しましたが、二十世・貞京智元大和尚の代に再び伽藍を消失、土蔵一宇を建立して、二十一世・要門探玄大和尚の代に、現在の本堂、庫裡、大門等が建立されました。
* [[善澤寺]](新潟県村上市)
 
* [[常泉寺]](福島市飯坂町)
 当寺の末寺は、九ヶ寺あります。四世・傑山雲勝大和尚開山所、龍鳳寺(福島市腰浜)、善澤寺(新潟県村上市)、五世・立質金祝大和尚開山所、常泉寺(福島市飯坂町)、宝寿寺(伊達市片町)、金源寺(福島市下飯坂)、鎌秀院(福島市鎌田)、正福寺(福島市本内)、六世・不覚連達大和尚開山所、金秀寺(伊達市広前)、十二世・不山大通大和尚開山所、退鳳庵(福島市舟戸)です。尚、これらの末寺の内、鎌秀院は、その後末寺を離れ、退鳳庵は、廃寺になっています。
* [[宝寿寺]]([[伊達市]]片町)
 
* [[金源寺]](福島市下飯坂)
 当寺の寺宝には、本庄繁長侯着用の甲壱冠、冑一着、奥方の遺品たる古鏡、朝鮮出兵の折に持ち帰りたる雲版、本庄家記三巻などがあります。
* [[鎌秀院]](福島市鎌田)
 
* [[正福寺]](福島市本内)
 阿武隈川の清流を眼下に臨み、遠く吾妻山を仰ぐ二千坪に及ぶ景勝の地に、開闢以来当寺は、歴史の流れの中で、檀信徒の厚い帰依と外護の信心をいただき、開山並びに歴代の住職により、慈眼を垂れる本尊聖観世音菩薩を中心に、信仰の道を歩みつづけてきているのです。 
* [[金秀寺]](伊達市広前)
 南無大慈大悲観世音菩薩
* [[退鳳庵]](福島市舟戸)
 
== 文化財 ==
* 甲冑 - 本庄繁長着用
* 鏡 - 本庄繁長妻使用
* [[雲版]] - [[朝鮮出兵]]の折に持ち帰る
* [[本庄家記]]3巻
 
== 所在地 ==
福島県福島市舟場町3-10
 
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[[Category:福島市]]
[[Category:日本の禅寺]]