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'''安部 頼時'''(あべのよりとき、? - [[天喜]]5年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]([[1057年]][[8月28日]]))は[[平安時代]]の武将。[[陸奥国]][[奥六郡]]を治めた[[俘囚]]長。父は[[安倍忠良]]。弟に[[安倍忠世|忠世]]、[[安倍良照|良照]]、子に、[[安倍貞任|貞任]]、[[安倍宗任|宗任]]、[[安倍家任|家任]]、[[安倍行任|行任]]ほか多数。[[奥州藤原氏]]の初代[[藤原清衡]]の祖父にあたる。初名は頼良(よりよし)
 
安部氏は奥六郡に族長制の半独立勢力を形成しており、朝廷と対立。[[永承]]6年([[1051年]])に[[藤原登任]]が陸奥守として赴任すると、俘囚らを動員して[[衣川 (岩手県)|衣川]]を越えて国衙領へ侵攻し、「[[鬼切部の戦い]]」において国府側を撃破した([[前九年の役]])。朝廷では源氏の[[源頼義]]を新たに陸奥守、[[鎮守府将軍]]に任命して派遣するが、朝廷において上東門院[[藤原彰子]]の祈願のために安倍氏に大赦が出され、講和が成立。頼良は頼義と名の読みが同じことを遠慮して「頼時」と改名した。