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最初期の男子ダブルス、1879年-1883年の扱いについて
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'''アーネスト・レンショー'''('''Ernest Renshaw''', [[1861年]][[1月3日]] - [[1899年]][[9月2日]])は、[[イングランド]]・[[リーミングトン]]出身の男子[[テニス]]選手。フルネームは ''James Ernest Renshaw'' (ジェームズ・アーネスト・レンショー)という。[[ウィンブルドン選手権]]が黎明期にあった頃の[[1880年代]]に、双子の弟である[[ウィリアム・レンショー]]とともに“兄弟テニス選手”として活躍した。ウィンブルドン選手権の男子シングルス6連覇で有名な弟のウィリアムに比べると、兄のアーネストは陰に隠れがちな存在であったが、兄弟でシングルス優勝を争ったり、ダブルスでペアを組んで活躍した。
 
[[1861年]][[1月3日]]、[[イングランド]]の[[リーミングトン]]にあるレンショー家で双子の兄弟が誕生した時、先にアーネストが生まれ、15分後に弟のウィリアムが生まれた。世界最古のテニス・トーナメントである[[ウィンブルドン選手権]]は、[[1877年ウィンブルドン選手権|1877年]]に第1回大会が行われた。双子の兄弟は[[1880年ウィンブルドン選手権|1880年]]、19歳の時にウィンブルドン選手権のダブルスで初優勝する。最初期のウィンブルドン男子ダブルスは[[1879年ウィンブルドン選手権|1879年]]から[[1883年ウィンブルドン選手権|1883年]]まで[[オックスフォード]]で実施された。男子ダブルスがシングルスと同じ[[オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ|オールイングランド・クラブ]]で実施され、選手権の公式優勝記録表に記載されるのは[[1884年ウィンブルドン選手権|1884年]]以後7になる。レンショー兄弟はオックスフォード開催の男子ダブルスで[[1880年ウィンブルドン選手権|1880年]]・[[1881年ウィンブルドン選手権|1881年]]の2度優勝しているが、最初の2勝はウィンブルドン選手権の公式優記録表に記載されない。したがって、兄弟ダブルスの「公式優勝回数」は[[1884年ウィンブルドン選手権|1884年]]以後の「5勝」となる。

[[1882年ウィンブルドン選手権|1882年]]、アーネスト・レンショーは第6回大会で初めてのシングルス決勝戦に進出したが、双子の弟のウィリアムに 1-6, 6-2, 6-4, 2-6, 2-6 で敗れた。当時の競技システムは、現在とは大きく異なっていた。まず「チャレンジ・ラウンド」(挑戦者決定戦)が行われ、大会前年優勝者を除くほかの選手たちがトーナメントを戦い、それを制した選手が前年優勝者と決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」で優勝を決定していた。ウィリアムは[[1881年ウィンブルドン選手権|1881年]]に初優勝を飾り、[[1882年ウィンブルドン選手権|1882年]]の大会は「チャレンジ・ラウンド」の勝者を待つ立場であったが、アーネストがチャレンジ・ラウンドを制して「オールカマーズ・ファイナル」に進出したのである。[[1883年ウィンブルドン選手権|1883年]]と[[1887年ウィンブルドン選手権|1887年]]にも、アーネストはチャレンジ・ラウンドを制しながらも「オールカマーズ・ファイナル」で敗れ、1883年はウィリアムに、1887年は[[ハーバート・ローフォード]]に敗れている。[[1888年ウィンブルドン選手権|1888年]]の決勝で、アーネストはついにローフォードを 6-3, 7-5, 6-0 で破り、宿願のシングルス初優勝を達成した。[[1889年ウィンブルドン選手権|1889年]]にアーネストは初めてチャレンジ・ラウンドの勝者を待つ立場になったが、再び弟のウィリアムに決勝で屈してしまう。アーネスト・レンショーのウィンブルドン男子シングルス決勝成績は「1勝4敗」で終わり、そのうち[[1882年ウィンブルドン選手権|1882年]]・[[1883年ウィンブルドン選手権|1883年]]・[[1889年ウィンブルドン選手権|1889年]]の3度が弟のウィリアムとの“兄弟対決の決勝”であった。
 
レンショー兄弟は2人とも若くして早逝し、先に兄のアーネストが[[1899年]][[9月2日]]に38歳で亡くなった。兄の死からわずか5年後、弟のウィリアムも[[1904年]][[8月12日]]に43歳で死去した。[[1983年]]、レンショー兄弟は2人揃って[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。
== ウィンブルドン選手権の成績 ==
* 男子シングルス優勝:1888年 [準優勝4度:1882年1883年1887年1889年]
* 男子ダブルス優勝:1880年1881年1884年-1886年1888年1889年 [総計7勝。すべてウィリアムとのペア]
== 関連項目 ==
* [[テニス]]
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== 参考文献 ==
* ランス・ティンゲイ著『ウィンブルドンの100年史』(英語、1977年刊、ISBN 0900424710、アルファ・オメガ社) 24-28ページまでの第2章が“''The Renshaws''”(レンショー兄弟の時代)という題名になっている。
 
[[Category:イングランドのテニス選手|れんしよう ああねすと]]
[[Category{{DEFAULTSORT:双子のスポーツ選手|れんしよう  ああねすと]]}}
[[Category:1861年生|れんしよう ああねすとイングランドのテニス選手]]
[[Category:1899年没|れんしよう ああねすと双子のスポーツ選手]]
[[Category:1861年生]]
[[Category:1899年没]]
[[de:Ernest Renshaw]]
[[en:Ernest Renshaw]]