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'''本因坊 丈和'''('''ほんいんぼう じょうわ'''、[[天明]]7年([[1787年]]) - [[弘化]]4年([[1847年]]))は、[[江戸時代]]の[[棋士 (囲碁)|棋士]]。十二世[[本因坊]]、[[名人 (囲碁)|名人]][[碁所]]。[[本因坊元丈]]門下。元の姓は戸谷、後に葛野(かどの)。
 
丈和の生地は明らかでなく、[[信濃国|信濃]]、[[武蔵国]]、[[伊豆]]、[[江戸]]などの説があるが、伊豆説が有力。幼名は松之助。16歳で初段。[[文化 (元号)|文化]]4年(1807年)に[[庄内藩|庄内藩士]]長坂猪之助と二十一番碁を打ち(丈和定先)、12局目まで8勝4敗で先相先とした。当時元丈の跡目には丈和の1歳上の[[奥貫智策]]が据えられていたが、智策は文化9年(1812年)に27歳で夭逝、[[文政]]2年(1819年)に丈和が跡目となる。その後33歳で六段。