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現在では一般的に、人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力が人に及ぶと考えられている。何か災厄が起きたときに、[[卜占]]や[[託宣]]などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占ってはじめて人々に認識され、罪を償いその神を祀ることで祟りが鎮められると考えられている。[[神仏習合]]の後は、本来は人を救済するものであるはずの仏も、神と同様に祟りをもたらすと考えられるようになった。これも、仏を祀ることで祟りが鎮められると考えられた。しかしこれはあくまでも民間信仰、つまり一つの見解であり、'''仏教本来の考え方においては、祟りや[[仏罰]]を与えることはない'''。
 
==祟りとは、迷信か否か==
現代社会では、科学的に立証されず、論理的にも説明出来ない「祟り」に対して、単なる迷信として扱われることが一般である。祟りについて科学的に説明する論拠は、マイナス[[プラシーボ効果]]にある。つまり、「怖い」と過剰に思い込むことにより、風になびく柳の姿も、鳥の鳴き声も、祟りに関連付けてしまう心理現象や、[[統合失調症]]の患者の場合には、[[幻覚]][[幻視]]として、明確に祟りを感じ取る、と科学的に説明されている。少なくとも、現代の先進諸国で祟りを公に語る者は、無教養人としてのレッテルを張られてしまう程である。つまり現代社会で「祟り」を語ることはある種の[[タブー]]なのである。
 
しかし、殺人事件や事故等により、不遇の死を遂げた者が多数生じた、その現場で、居心地の良さを感じる者は、現代の教養人であっても、皆無であろう。常識的な人物であれば、少なくとも「畏れ」の感情に捕われ、出来ることなら早くその場を立ち去りたく願うであろう。少なくとも、人類が科学的に解明してきた物事は、まだまだ一部に過ぎず、世の中には、必ずしも科学的に挙証出来ずとも不可思議な「祟り」というものが実在することは、多くの者が思っているのである。徹底的な[[共産主義]]思想のもと、「祟り」を絶対否定し[[アウシュビッツ]]に祟り等存在しない、と断言することも、人類の驕り高ぶった行為であろう。
 
実際に、羽田の[[穴守稲荷]]や、ヨーロッパの[[アイスマン]]等、単なる偶然や確率の世界では説明出来ない不可思議な現象が存在するのである。そんな「祟り」による犠牲者は、余りにも理不尽な目に遭っており、そこには[[因果応報]]といった人類が納得出来る論理すら全く介在しないのである。このような不合理な「祟り」の性質上、特に男性を中心として「祟りは迷信」として、頭で納得したいのである。しかし、残念ながら、人智を超越した不可解な「祟り」現象は、実際に生ずる。したがって、現代社会でわざわざ公言する必要も無いが、自然界や神仏に対する「畏れ」の感情を、人類は心底では持ち続けるべきであろう。
 
==怨霊による祟り==
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同様に「動物霊」も祟ると考えられており、特に猫の怨霊は恐れられ、「猫を殺すと七代祟る」といった俗信がある。
 
==祟りとは、迷信か否か==
現代社会では、科学的に立証されず、論理的にも説明出来ない「祟り」に対して、単なる迷信として扱われることが一般である。祟りについて科学的に説明する論拠は、マイナス[[プラシーボ効果]]にある。つまり、「怖い」と過剰に思い込むことにより、風になびく柳の姿も、鳥の鳴き声も、祟りに関連付けてしまう心理現象や、[[統合失調症]]の患者の場合には、[[幻覚]][[幻視]]として、明確に祟りを感じ取る、と科学的に説明されている。少なくとも、現代の先進諸国で祟りを公に語る者は、無教養人としてのレッテルを張られてしまう程である。つまり現代社会で「祟り」を語ることはある種の[[タブー]]なのである。
 
しかし、殺人事件や事故等により、不遇の死を遂げた者が多数生じた、その現場で、居心地の良さを感じる者は、現代の教養人であっても、皆無であろう。常識的な人物であれば、少なくとも「畏れ」の感情に捕われ、出来ることなら早くその場を立ち去りたく願うであろう。少なくとも、人類が科学的に解明してきた物事は、まだまだ一部に過ぎず、世の中には、必ずしも科学的に挙証出来ずとも不可思議な「祟り」というものが実在することは、多くの者が思っているのである。徹底的な[[共産主義]]思想のもと、「祟り」を絶対否定し[[アウシュビッツ]]に祟り等存在しない、と断言することも、人類の驕り高ぶった行為であろう。
 
実際に、羽田の[[穴守稲荷]]や、ヨーロッパの[[アイスマン]]等、単なる偶然や確率の世界では説明出来ない不可思議な現象が存在するのである。そんな「祟り」による犠牲者は、余りにも理不尽な目に遭っており、そこには[[因果応報]]といった人類が納得出来る論理すら全く介在しないのである。このような不合理な「祟り」の性質上、特に男性を中心として「祟りは迷信」として、頭で納得したいのである。しかし、残念ながら、人智を超越した不可解な「祟り」現象は、実際に生ずる。したがって、現代社会でわざわざ公言する必要も無いが、自然界や神仏に対する「畏れ」の感情を、人類は心底では持ち続けるべきであろう。
 
==祟ることで有名な動物==