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[[アフリカ大陸]]を南北に縦貫し、あわせて「インドへの道」を南北双方から確保しようというもので、アフリカ縦断政策に対してはアフリカ横断政策をとる[[フランス]]と、また、[[中央アジア]]から・[[アフガニスタン]]・[[ペルシア]]方面へと[[南下政策]]をとる[[ロシア]]とも対立したが、その都度妥協の成立に成功した。
 
しかし、19世紀末ころより[[ドイツ帝国]]のとった[[3B政策]]とは衝突、ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]とのあいだには妥協が成立せず、ヨーロッパで[[三国協商]]対[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]という図式が成立して、[[サラエボ事件]]をきっかけに[[第一次世界大戦]]を引き起こすことになった。
 
== 関連項目 ==