「シビーユ (エルサレム女王)」の版間の差分

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== 生涯 ==
エルサレム王[[フールク・ダンジュー|フールク]]とメリザンドの次男'''アモーリー'''とアニエス・ド・クルトーネ(旧[[エデッサ伯国|エデッサ伯]]ジョスリン2世の娘)の間に生まれる。弟が後の[[ボードゥアン4世]]。しかし、アモーリの兄ボードゥアン3世が亡くなり、アモーリが王位を継ぐことになると、旧エデッサ伯の影響が強くなることを恐れた在地諸侯によってアニエスは離婚([[婚姻の無効]])させられた。アモーリ王はその後[[東ローマ帝国|ビザンティン帝国]]との同盟のためマリア・コムネナと結婚し、間にイザベルが生まれている。
 
シビーユは祖母メリザンドの妹にあたる修道尼に引き取られ、女子[[修道院]]で育てられた。しかし、弟のボードゥアン4世が[[ハンセン病]]で子供が作れないことが明確になると、推定王位継承者として夫選びが始まり、1176年にモンフェラート侯ギヨームと結婚したが、翌年ギヨームが妊娠したシビーユ(この時身ごもっていたのが後のボードゥアン5世)を残して亡くなると後継争いは再び混沌とし、新来[[十字軍]]士を中心とする宮廷派と在地諸侯を中心とする貴族派の勢力争いに巻き込まれることになる。