「ソロヴェツキー修道院」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Undo revision 22121316 by 222.6.103.166 (会話)rv v? |
||
1行目:
[[画像:Solovki-1--07.2004.jpg|250px|thumb|right|ソロヴェツキー修道院を[[白海]]から眺める]]
'''ソロヴェツキー修道院'''([[ロシア語]]:'''{{lang|ru|Соловецкий монастырь}}''')は北[[ロシア]]における[[キリスト教]]・[[正教会]]最大の[[城塞]]である。[[ソビエト連邦|ソビエト]]時代初期には[[強制収容所]]および[[刑務所]]として機能し、後の[[グラグ]]の前身ともなった([[ソロヴェツキー諸島#強制収容所]]参照)。[[
== 歴史 ==
ソロヴェツキー修道院は[[
ソロヴェツキー修道院の収入源は製塩([[1660年]]代には54カ所の製塩所を有していた)、海産物の販売、仕掛けを用いた狩猟、[[漁業]]、[[雲母]]の加工、[[鉄工業]]、[[真珠]]の加工などであり、これには多数の労働力を必要とすることとなった。
[[17世紀]]までにはすでにソロヴェツキー修道院は350の修道士、600から700の召使い、熟練工、小作農民を有していた。[[1650年]]代から1660年代にかけて[[:en:Patriarch Nikon|ニーコン総主教]]による改革に反発した[[古儀式派]]の拠点となり、[[1668年]]-[[1676年]]には古儀式派の修道士によってソロヴェツキー修道院における反乱([[:en:Solovetsky Monastery Uprising|en]])が起
[[画像:Napadka.jpg|200px|thumb|right|クリミア戦争時、艦隊から砲撃を受ける修道院]]
|