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==生涯==
[[藤原懐平]]の二男として生まれるが、時期は不明ながら、懐平の弟でその祖父[[藤原実頼|実頼]]の養子となっていた、実資の養子となる。実資は[[藤原実頼|実頼]]の家系([[小野宮流]])の嫡流となっていたため、資平は三歳上の実兄の[[藤原経通|経通]]と並んで官途を昇ることとなった。
 
[[長徳]]3年([[997年]])に、12歳で従五位下の叙位を受け、翌年には[[侍従]]に任官し、その後も養父の引き上げもあり、順調に官位を昇進し、[[長和]]4年には公卿に次ぐ[[蔵人頭]]に任官する。当時の[[三条天皇]]は、廟堂の首班である[[藤原道長]]とは疎遠であり、その関係から天皇は実資を相談相手とすることが多く、資平の蔵人頭も道長との押し問答のようなやり取りの挙句に、天皇が強行したものだった。